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大川周明と古民家山十邸

戦前の思想家でありA級戦犯であった大川周明の住んでいた家が、神奈川県の愛川町にあり、古民家山十邸として保存され、一般に公開されているということを知り、家族で行ってきました。

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大川周明は昭和19年から亡くなるまで、ここに住んでいたとのことですので、A級戦犯として捕えられた時もここで米兵に逮捕されたのではないか、などと想像しています。

私が読んだ大川周明の著作あるいは大川周明についての本の感想です。

「大川周明 アジア独立の夢」 玉居子精宏著 平凡社新書
東亜経済調査局附属研究所という名称で昭和13年に開設された、戦時下における南方での活動を担ってゆく若者たちを教育するための機関を、大川周明が主宰していたんです。その名も「大川塾」と呼ばれ、100名ほどの卒業生を輩出したとのこと。教育者としての大川周明は、庄内藩の出身であり、いわば西郷南洲の直弟子といった心持ちで若者たちに接していたのではないだろうか。と同時に、外国の息吹を日本の若者たちに伝えてゆきたいといった気持ちを強く持っていたに違いない。

終生子どもを持たなかった彼にも若い 「同志」 はかわいくて仕方なかったのだろう。寮がまだ鷺ノ宮にあったときのこと、彼は蘭印班一期生五人を自宅に呼び、インドカレーで会食している。カレーは大川がインドの独立運動家、ラス・ビハリ・ボースを自宅に匿った時期、妻兼子がボースから習ったものである。

つまり大川周明は、カレーライスを日本に広めた先駆者のひとり、ということになりそうです。

「日米開戦の真実」 佐藤優著 小学館文庫
佐藤優という人のことを私はよく知らないけど、この本は上手く書けていると思った。もっとも、大川周明が書いた「米英東亜侵略史」そのものがとても上手く書けており、本書はその注記に過ぎないのだが。
大川周明の「米英東亜侵略史」は、「対米英戦開始の第七日、すなわち昭和十六年十二月十四日より同二十五日に至るまで、四方の戦線より勝報刻々に至り、国民みな皇天の垂恵に恐懼感激しつつありし間に行ったラジオ放送の速記に、きわめて僅少の補訂を加えたものである」が、冷静に米英の政治的圧迫を史実を踏まえて記述しており、戦時下の感情的なプロパガンダなどではない。
「敵、北より来たれば北条、東より来たれば東条、天意か偶然か、めでたきまわり合わせと存じます。」なんていう発言は、その後の敗戦を思えば軽佻ではあるが、開戦当時の日本がまっとうな歴史観と使命感をもって米英戦争に臨んでいたということは理解できる。

「大川周明 ある復古革新主義者の思想」 大塚健洋著 講談社学術文庫
大川周明についての優れた評伝であると思います。
このなかで、ポール・リシャールというフランス生まれの人との交友について触れていますが、これはやはりいかんかったんじゃないかと思います。大学で宗教学を勉強した社会経験もない30そこそこの若者が、「美しいひげを蓄え、柔和な思慮深い眼をした立派な紳士で、一見して哲人という印象を与える人物」 (それもフランス人!) から、日本の世界史的な使命について語りかけられたら、クラッときちゃうんじゃないでしょうかね。

「日本二千六百年史」 大川周明著 毎日ワンズ
戦前のベストセラーである。なんでこんな本がベストセラーだったのか、理解に苦しむ。日本史についての真面目な教科書である。
不敬な記述が問題となり、国会でも取り上げられる騒ぎとなったが、そのように騒ぎ立てる人々と大川周明は、天皇や日本国の理解において一線を画している。もしも仮に、この本においてA級戦犯としての罪状を見出そうとしても、その試みは空しいものになるだろう。

「回教概論」 大川周明著 ちくま学術文庫
イスラム教の入門書として好著であるとの印象を受けた。
個人的にイスラム教に興味があるから読んだわけではなく、大川周明という戦前の思想家がイスラム教をどのように捉えていたかが知りたくて読んでみた。しかし、この本の中に日本を盟主とする大アジア主義の片鱗を探し出そうとしても、その期待は裏切られるだろう。学術的かつ広い視野を持った、異文化 (イスラム教) 理解のお手本だと思う。

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