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ナチ・ドイツの終焉 1944-45

ナチ・ドイツの終焉 1944-45

先の大戦において、日本が被った被害・影響といったものはもちろん大きかったが、ドイツという国が被った被害・影響はさらに大きかったのではないか、そしてそこで被った被害・影響が、戦後78年経ってもなお地下水脈のように生き続け、今日の国際政治に色濃く反映されているのではないか。

本書は1944年7月のヒトラー暗殺失敗から終戦までの、ほんの10ヵ月程度のドイツ内外の状況を書き記したものだが、この10ヵ月における殺戮と破壊はすさまじいものであった。

戦争最後の10ヵ月の戦死者数が開戦以来1944年7月までの5年間のそれとほぼ等しいのだ。1944年7月のヒトラー暗殺計画がもし成功し、戦争が直ちに集結していたら、戦死したドイツ軍兵士(総計530万人)のほぼ50パーセントは救われていたはずなのだ。(P499)

戦争は主として米英主導の西部戦線と対ソ連の東部戦線で、同時多発的に行われていたが、本書では西部戦線と東部戦線に対して当時のドイツ人が持っていた印象の違いについて詳述している。

西部戦線においては「降伏」、一般市民の厭戦気分と戦後の新体制に対するかすかな希望、そしてそうした希望に対するナチ(当時のドイツ愛国者)からの悪逆ないやがらせというか殺戮行為がメインテーマになってくる。

一方で、東部戦線に関しては「恐怖」、ボリシェヴィキ赤軍の進軍を前に一般市民は遁走を余儀なくされ、軍は大々的に一般市民の脱出を助けた。また、占領後の体制については絶望しかなかった。

約200万の東プロイセン住民が、すべての危険を乗り越えて、脱出することができた。これによって、彼らは、ソ連軍の手に落ちたこの州の50万人の人々の、筆舌に尽くせぬ運命をまぬかれたのだ。(p248)

こうした違いはどこから来るのか。英米の「文化的な」兵隊と、ロシアの「野蛮な」ボリシェヴィキ赤軍といった違いはもちろんあるだろう。しかし、それは「天罰覿面」(p414) というドイツ人の自己認識に根差していることも明らかにされている。

ドイツ軍がロシアの非戦闘員に加えた残虐行為や、ユダヤ人大量虐殺・・・パルチザンに対する戦争が残酷無残なものであったこともよく知られていた。ドイツ軍はやりたい放題のことをやっていたのだ。戦況が有利なうちは、こうしたことは少しも気にならなかった。しかし、今や形勢は逆転した。ソ連軍が優位に立ち、ドイツ軍を撃破して国境に迫り東プロイセンに侵入しようとしている。(p151)

戦争によって消滅した東プロイセンは、実はナチの強力な支持基盤のひとつであった。ヒトラー自身はオーストリアの出身であるし、ナチ党はドイツ南部のバイエルン州において支持基盤を獲得していったのであるが、東プロイセンでは第一次世界大戦時1914年にロシア軍によって「町や村は略奪され、4万以上の建物が破壊され、約1500人が殺害されたほか、数千人がロシアに連行された」(p151) のであり、こうした記憶が生々しく残っている地域では、ロシア・ソ連に対して極めて強硬なナチが支持を集めるのは必然だったのであろう。

1945年初めあのような恐るべき環境の中で東プロイセンから逃れた人々のうち、誰も、この地域がドイツにおいて最もナチ化された土地であったこと、この地域のヒトラー支持が1933年以前に全国平均をはるかに超えていたこと、また1930年代を通してこの地域がナチの諸政策によって受益し自分たちが歓喜にひたっていたことを思い出そうとはしなかった。(p505)

プロイセンあるいは「プロイセン的なるもの」は、先の戦争で徹底的に破壊され、もはや修復不可能な「過去の遺産」として文献の中でしかお目にかからないものとなってしまった。しかし、「プロイセン的なるもの」への郷愁は、ドイツ人の内奥にまだ根強く残っているような気がしてならない。

私自身、若いころドイツに留学しカント哲学を勉強した者として、ケーニヒスベルクが消滅して現在はカリーニングラードとしてロシアの軍事拠点となってしまっていることに、一抹の慨嘆を感じるものであるが、それもこれもドイツ(カント)哲学の内在的な帰結であろうと突き放して割り切ることが出来るのは、やはり私が部外者(日本人)だからであろう。

ウクライナ戦争によりNATOによるロシアへの圧迫が増大している折、ロシアの飛び地であるカリーニングラード地政学的に見て非常に不安定で、今後の紛争の火種にならなければ良いが、と懸念している。

飛び地領土」「国の中にある国」…その興味深い成り立ちに迫る | おもしろ雑学 世界地図のすごい読み方 | ダイヤモンド・オンライン

 

≪今日のひとこと≫

国際関係も人間関係も同じで、”敵と共に”生きねばいかんと思う。

水木しげるカレンダー2023)